この時期の遺跡は長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡(港区赤坂九丁目、No.9)のみである。遺跡は武蔵野台地東端の淀橋台の一部である赤坂台地と麻布台地の接点、標高三〇メートルの台地上に立地する。平成十四・十五年(二〇〇二・二〇〇三)に東京都埋蔵文化財センターによる発掘調査が行われ、武蔵野台地の立川ロームⅦ層を中心に、概ね三つの石器集中ブロックから石器二七点、礫一五点の合計四二点の遺物が出土した。南北五・九メートル、東西八メートルの範囲に分布し、もっとも大きい第二ブロックは、南北五・五メートル、東西八メートルの規模をもち、二側縁加工の硬質頁岩(けつがん)製ナイフ形石器一点と剥片一七点が見つかった(図2-3-1)。剥片の使用石材は、チャート・珪質(けいしつ)頁岩・黒色頁岩・硬質頁岩・ガラス質黒色安山岩・細粒安山岩・砂岩からなり、珪質頁岩や黒色頁岩は遠隔地から持ち込まれた石材である。一~三号ブロック内外での石器の接合がみられなかったことから、遺跡内では石器製作は行われず、他の遺跡から持ち込まれたものと考えられている。また、これらのブロックから離れた遺跡の南側のエリアの立川ローム第Ⅲ層下部では、黒曜石製剥片一点と小規模な礫群が見つかっている。
図2-3-1 萩藩毛利家屋敷跡遺跡出土旧石器
東京都埋蔵文化財センター編『港区萩藩毛利家屋敷跡遺跡 第2分冊』(東京都埋蔵文化財センター調査報告第162集、2005)所収の図を一部改変のうえ、転載