汐留遺跡にみる縄文海進

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 汐留(しおどめ)遺跡は、港区東新橋一丁目のほぼ全域、同二丁目の東半域および海岸一丁目の北半域に広がる遺跡で、江戸時代の大名屋敷跡、縄文時代の包蔵地から成り、さらに近代の新橋停車場跡が発見されている。
 縄文時代の包蔵地は、汐留遺跡北半域の中央より多少南東に寄った位置にある。陸奥仙台藩の伊達家屋敷跡に当たり、大名屋敷造成に伴う土留め遺構の下から縄文土器を出土する包含層が確認されたものである(港区No.118遺跡)。
 汐留地区に営まれた大名屋敷は、海浜の砂層を主体として埋め立て造成をしているが、その下には炭素14年代測定法で弥生時代中期に相当すると判断された、厚さ一〇~二〇センチほどの有楽町貝層が広域に堆積している。さらにその直下で、洪積(こうせき)層であるオリーブ色の土丹(どたん)層および砂層が検出された。土丹層は、T.P.(東京湾平均海面標高)マイナス一・〇~マイナス一・五メートルの高さで伊達家屋敷の中央から北方向と東側海手に広がり、一方で砂層は伊達家屋敷の中央部から緩やかに南に向けて下降傾斜する。伊達家屋敷の中央海手に近い、現在の東京臨海新交通臨海線「ゆりかもめ」汐留駅を挟んだ東西二か所では、有楽町貝層の直下の土丹層および洪積砂層が南方向に崖状に沈み込み、これを埋める砂礫層中から縄文時代早期(撚糸文(よりいともん)系から条痕(じょうこん)文系)の土器七〇〇片ほどが出土している。この崖は、T.P.マイナス一・五~マイナス二・〇メートルの位置にあり、高さは五〇センチほどで、三か所で確認した結果、崖の形状は、平面的には図3-1-2-1のように三〇〇メートルほど不整形に南に張り出す形状で復元される。砂礫層は、二~五センチ大の礫(れき)にハードロームと土丹塊が混ざり、南に向けて徐々に厚く堆積している。崖に近い砂礫層中ほどハードロームと土丹の塊が多く、縄文土器片も同様の傾向にある。そして、砂礫層と崖および土丹層を覆うように有楽町貝層が堆積している。砂礫層と土丹層上面には無数の生痕が残る。こうした所見から、砂礫層と土丹層上面と崖は、波の浸食によってできた波食(はしょく)台および波食崖と考えられている。
 

図3-1-2-1 波食崖平面復元図

東京都埋蔵文化財センター編『汐留遺跡Ⅱ 第1分冊―旧汐留貨物駅地内の調査』(東京都埋蔵文化財センター調査報告第79集、2000)から転載