活動範囲の広がり

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 早期後半になると、遺構こそ明確ではないが、遺物出土数はかなり増加する。貝殻・沈線(ちんせん)文系土器、条痕(じょうこん)文系土器と呼ばれる、胎土(たいど)に繊維を含む土器で、長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡(図3-2-1-1)や汐留遺跡(口絵2・図3-2-1-1)で豊富である。
 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡では、表裏に条痕を施し、表面に沈線で区画した中に格子文や円形竹管文が付けられた鵜ヶ島(うがしま)台式土器や、型式不詳ながら胎土に植物繊維を含む早期後半の条痕文系土器、口縁部に隆帯を貼り付けた早期末葉の土器が出土している。また、長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡検出の時期不明の土坑の中に、早期後半に遡るものがあるかもしれない。汐留遺跡では、近くの台地上に人びとの活動空間が存在した可能性が考えられている。この時期の土器は、僅かではあるが飯倉台地(雁木坂上遺跡など)、白金台地(旧白金御料地遺跡)や高輪台地(伊皿子貝塚遺跡)でも発見されており、人びとの活動域が広がっていたことが示唆される。
 

図3-2-1-1 長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡(1、4)・汐留遺跡(2、3、5)出土の土器

東京都埋蔵文化財センター編『港区萩藩毛利家屋敷跡遺跡 第2分冊』(東京都埋蔵文化財センター調査報告第162集、2005)、同『汐留遺跡Ⅱ 第1分冊―旧汐留貨物駅跡地内の調査』(東京都埋蔵文化財センター調査報告第79集、2000)から転載