玦状耳飾は、中国の漢代以前に耳飾として用いられた玉器の玦に似ていることからこの名が付いている。国内では早期末葉に現れ、前期から中期にかけてもっとも盛んにつくられた装飾品である。北は北海道北部から、南は熊本県で出土しており、東北・中部地方にとくに多い。多くは本遺跡出土資料と同様の美しい石製品であるが、土製や骨製の場合もある。
さて、本遺跡出土の玦状耳飾は、一点(1)は江戸時代の遺物とともに出土し、他の一点(2)は近代以降の攪乱土の中から出土した。このことが、いささか厄介な問題を引き起こした。陸奥八戸藩南部家屋敷跡遺跡は、江戸時代の八戸藩江戸屋敷跡であり、二点のうち一点は八戸藩に関わる遺物とともに出土した。しかも、製品として完成した後に付けられた切り傷が観察されており、縄文時代以降の人びとの手に渡った可能性が考えられている。先述のように、玦状耳飾は前期の東北地方でも盛んにつくられた製品で、八戸の出土例も少なくない。つまり、これらの玦状耳飾は、本遺跡地あるいは周辺で活動していた前期の人びとの物であるのか、江戸時代に八戸方面から持ち込まれた物であるのかがはっきりしないのである。
図3-2-2-1 陸奥八戸藩南部家屋敷跡遺跡出土の玦状耳飾
林野庁六本木宿舎跡地内遺跡調査団編『陸奥八戸藩南部家屋敷跡遺跡発掘調査報告書Ⅰ』(1995)から転載