縄文時代の人びとは、海洋資源を積極的に利用した。貝や魚類、海中に生息するほ乳類などの海洋資源は、食材となっただけではなく、殻や骨などが道具や装身具の材料としても用いられた。とくに、貝は比較的捕獲が容易で、大量に捕らえることができることから膨大な量が消費され、その度に多量の殻がごみとして捨てられた。さらに、魚骨・鱗・獣骨・鳥骨・土器・石器・骨角器・装身具などもごみとして廃棄された。こうしたごみ処分場が貝塚なのであるが、時折人骨が発見されることがあり、単なるごみ捨て場ではなかったとする見解もある。
国内最古級の貝塚に、神奈川県横須賀市の夏島貝塚がある。早期前半から後半にかけての貝層が発見されており、もっとも古い段階の貝層は約九〇〇〇年前とされている。港区域では、約五五〇〇年前の前期後半に形成された本村町貝塚(No.51)が、時期が判明している貝塚ではもっとも古い。
じつは、港区域には文化財保護法によって貝塚とされている遺跡が一四か所ある。しかし、うち二か所は歴史時代の貝塚であり、また考古学的調査によって詳細が明らかになっている貝塚は、形成時期が古い順に、本村町貝塚・丸山貝塚(No.23)・伊皿子貝塚(No.60)・西久保八幡貝塚(No.18)の四か所に過ぎない。他の八か所については詳細は不明で、今でも土器片の散布がみられる青山墓地内貝塚を除くと多くは現存しないと考えられる。
貝塚は、貝層の分布状況や立地などから地点貝塚・環状貝塚・馬蹄(ばてい)形貝塚・斜面貝塚などと分類され、生活ごみの捨て場としてのサト(ムラ)貝塚と、主として貝の加工場としてのハマ貝塚に類型化される。この視点に立てば、先述の四貝塚のうち、本村町貝塚と西久保八幡貝塚はサト(ムラ)貝塚に、丸山貝塚と伊皿子貝塚はハマ貝塚に分類され、これらの四貝塚は立地条件から斜面貝塚に分けられる。
まず、これら四貝塚について時代を追って見ていくことにしよう。