縄文時代の人びとは、山野で獣類を狩り、植物資源を採集し、海や河川に生息する貝類・魚類や鳥類を捕獲してくらしを営んできた。動物については、貝塚から出土する動物遺体によっておおよその利用の傾向が把握できるが、食料に供される動物は、現代社会とほとんど変わらないことがわかる。植物資源については、様々な種実・果実・根茎類、食用となる草本類を採取していたことが知られており、港区域で活動していた人びとも同様であっただろう。
こうした資源の獲得のため、狩猟には石鏃が、漁労では土器片錘・石錘が使われた。また、石鏃は漁具として使われることもあった。貝やエイの尾棘を加工した漁具と考えられる遺物については既述のとおりである。打製石斧は掘削用具と考えられ、樹木の切り倒しや加工には磨製石斧を用いたとされる。
また時期の特定が困難ながら、主に前期と考えられる陥し穴が石見津和野藩亀井家屋敷跡遺跡(No.156)などで検出されており、イノシシやシカなどの獲得に用いられた。