港区には五五か所(令和二年〈二〇二〇〉三月一日現在)の縄文時代の遺跡が知られ、多くの遺跡で複数の時期にわたる資料が発見されている。
その分布は海浜部埋立地を除く港区の全域に及び、立地は台地、低地を問わない。種別の遺跡数は、貝塚一一か所、集落五か所、包蔵地四三か所で、包蔵地が圧倒的に多い。種別の合計数が遺跡総数を上回っているが、これは複数の種類で構成されている遺跡が四か所存在していることによる。
また、包蔵地が多いことは注意を要する。たとえば、次に述べる出羽米沢藩上杉家・豊後臼杵藩稲葉家屋敷跡遺跡(No.32)で出土した撚糸文系とみられる土器片が近代以降の盛土層に紛れ込んでいたように、本来その遺跡地に存在していたのではなく、他所から持ち込まれた可能性を考慮する必要があるからである。