コラム1 旧石器時代と縄文時代の境界

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 今から約二万年前、最後の氷河期の最寒冷期を過ぎると、再び気温は上昇に転じる。それにともなって海水面も上昇し、日本列島は再び大陸から切り離されることになる。それまで日本列島を覆っていた針葉樹林も西南日本から徐々に減少し、最終的には北海道を除く地域はコナラ・クリ・クヌギなど堅果(けんか)類が繁茂する落葉広葉樹の森に変わり始める。気温の上昇と植生の変化は、旧石器時代の動物相にも影響を与え、主たる狩猟対象であった大型ほ乳類も日本列島からその姿を消した。
 この旧石器時代最終末期の急激な環境の変化に対応するように、日本列島に住む人々の生活も徐々に変化する。その一つの例に、「御子柴(みこしば)石器文化」の登場が挙げられる。この石器文化は、シベリアのアムール川流域から沿海州を起源とし、主要な石器としては丸鑿(まるのみ)形の片刃磨製石斧と大型の木葉形槍先形尖頭器などをもつ。注目すべきは、それまでの旧石器時代と共通する石器に加えて、後続する縄文時代草創期につながる有茎尖頭器や石鏃などがみられる点である。この旧石器時代と縄文時代の移行期に出現した文化には、土器を伴わない遺跡と、後の縄文文化のように土器を伴う遺跡がある。土器を伴う遺跡の代表に青森県大平山元Ⅰ遺跡があり、出土した無文土器に付着した炭化物に対する炭素14年代測定の結果は、およそ一万六五〇〇年前であった。縄文時代と旧石器時代の境目をいつにするかについて、研究者の間では様々な議論があるが、この数値は一つの指標になるだろう。(渡辺丈彦)