縄文時代後期後半以降に顕著になった冷涼で湿潤な気候が弥生時代前期まで続き、「弥生の小海退」と呼ばれる海面の低下現象を引き起こした。続く中期は前期に対して相対的に温暖な気候で推移し、後期以降も冷涼化と温暖化がくり返された。こうした気候変動によって生じた小さな海進・海退の痕跡が汐留(しおどめ)地区の遺跡や溜池遺跡(No.108-1・2)で観察されている。
地形についてみると、弥生時代は縄文時代晩期に引き続き、今日につながる自然地形が形成されていった時代といえる。古川の河口に形成された砂州(さす)が現在の浜松町付近まで北進し、縄文海進の名残である日比谷入江の入口は狭まっていったと考えられ、古川の入江や日比谷入江も後退し、徐々に陸域が広がっていったと推定されている。
弥生時代に限定して植生を捉えることはきわめて困難であるが、伊皿子(いさらご)貝塚遺跡(No.60)では縄文時代晩期から古墳時代前葉にかけての堆積層中の花粉化石の分析から、ヨモギ属やイネ科が多い草地に、ハンノキ属を中心として、マツ属・ツガ属・スギ科・クリ属・アカガシ属・コナラ亜属が散育する環境であったと推定されている。とくに、ヨモギ属が減少し、イネ科が増えたとする分析結果は興味深い。開析谷(かいせきだに)では、湿地林が衰退して草本(そうほん)が繁茂する湿地に変化したことが、溜池遺跡などでの土壌分析によって明らかとなっている。また、溜池遺跡では、弥生時代もしくは古墳時代に相応すると考えられる堆積層中から多量のイネのプラントオパール(本章コラム参照)が検出されており、この時期に小さな支谷で水田稲作が行われていた可能性が指摘されている。
近年、溜池遺跡周辺では遺跡発掘調査によるイネのプラントオパール検出の報告例が増えている。既述のとおり、弥生時代に絞り込んで情報を求めることは困難な現状ではあるが、弥生時代の港区域では、規模の大小はともかくとして水田稲作農耕が展開し、前の縄文時代に増して、いっそう人びとが自然に深く関与することで里山的環境が形成されていったことが推測できる。