概観

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 港区には二二か所(令和二年〈二〇二〇〉三月一日現在)の弥生時代の遺跡が知られており、多くの遺跡で複数の時期にまたがっている。これらの遺跡の大半は、遺物が少なく、器種、器形や法量が明瞭な資料に乏しいことから、しばしば遺跡自体あるいは検出遺構の時期判断に困難を伴う。とりわけ後期後葉以降については、古墳時代初頭から前期前半との明確な時期区分が難しい場合が少なくない。
 遺跡の分布状況をみると、海浜部埋立地を除く港区域の全域に及んでいる。付近に河川が流れ、谷底低地に近接している台地や微高地に立地し、沖積低地では近世以降の造成層や遺構覆土、自然堆積層から遺物が出土することもあるが遺構はみられない。種別による遺跡数は、集落跡一三か所、墓跡一か所、包蔵地八か所となり、三分の二近くの遺跡が何らかの遺構を伴っている。また縄文時代遺跡と同様、包蔵地については、土器等が本来その遺跡地に存在していたのではなく、他所から持ち込まれた可能性を考慮する必要がある。
 ところで、近年の研究により、北部九州地方から東進してきた弥生文化が前期末に神奈川県西部に達していた可能性が考えられている。しかし、本章の冒頭に記したように、港区域に弥生文化が到来するのは中期中葉のことで、港区域に前期の遺跡は存在しない。