後期の遺跡

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 後期の遺跡は一二か所が知られている他、一か所で後期に属すると考えられる遺物が出土しているが、ほとんどが後期後半の資料で、後期前半については明瞭ではない。
 北からみていくと、青山御所内遺跡(No.5)で後期後半の遺物が出土している。飯倉台地では、我善坊谷を囲むように後期後半の遺跡が並ぶ。我善坊谷の北側には近江山上藩稲垣家屋敷跡遺跡(No.133)、陸奥八戸藩南部家屋敷跡下層遺跡(No.99)、陸奥八戸藩南部家屋敷跡第2遺跡(No.102)、相模荻野山中藩大久保家屋敷跡遺跡(No.107)があり、四棟の竪穴建物跡が発見された雁木坂上遺跡(No.74)は我善坊谷の南に位置する。谷頭には麻布仲ノ町地区武家屋敷跡遺跡(No.134)があり、後期中葉に遡る可能性も考えられている。他は後葉から終末期の遺跡で、古墳時代初頭から前期前半まで下る遺跡も少なくない。
 麻布台地では、善福寺寺域遺跡(No.115)で後期後葉の遺構・遺物が発見され、長門長府藩毛利家屋敷跡遺跡(No.129)では終末期から古墳時代初頭の遺物が出土している。石見津和野藩亀井家屋敷跡遺跡もまた、この時期の遺跡である可能性が高い。
 三田段丘から高輪台地にかけては、増上寺寺域第2遺跡(No.141)で後期後葉の遺物が出土しており、亀塚公園遺跡、三田台町遺跡、三田台町・三田台裏町・芝伊皿子台町町屋跡遺跡(No.101)、妙玄院跡・妙玄院門前町屋跡遺跡(No.159)などで、後葉から終末期、古墳時代前期前葉の遺構・遺物が発見されている。   (髙山 優)
 

図4-3-1 港区内弥生時代遺跡および遺物出土地分布図

国土地理院陰影起伏図・標準地図を下地として、港区埋蔵文化財包蔵地(遺跡)分布図(令和2年3月1日現在)をもとに作成。なお、図の煩雑さを避けるため、本文で触れている遺跡のみを記載した。番号は港区遺跡番号、遺跡名等は原始第四章末尾の「港区内旧石器・縄文・弥生時代遺跡および遺物出土地一覧」を参照。