ヤマト政権下の部民制は、五世紀中葉には成立していたとされる。もともとヤマト政権の中枢において成立していた部民制は、次第にその周縁部に展開されていった。部民制とは、血縁原理に基づく職能集団のことで、全国の部民は、畿内の王権を構成する豪族と、職能別に擬制的な血縁関係を有することとなり、それぞれが畿内豪族に仕えて、その畿内豪族を通じてヤマトの王権に奉仕する仕組みができあがり、ヤマト政権が全国に展開していく基礎となった。
もちろん、これはヤマト政権が直接民衆を支配したわけではなく、中央豪族との擬制的血縁原理に基づく支配であり、豪族たちによる全国の民衆の縦割り支配にすぎないから、先にも触れたように、全国を統一する「国家」というにはあまりに脆弱な姿ではあるが、それでも全国政権への第一歩であるということはできよう。