古墳と集落

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 古墳では、日本考古学の黎明期に発掘調査が行われた、芝丸山古墳(No.24)(東京都指定史跡)ならびに芝丸山古墳群―円墳群(No.25)が著名である。また、区内南部の三田台には古墳の可能性が高いと考えられる亀塚(No.57)(東京都指定史跡)が位置している。このほか、赤坂台には前方後円墳の可能性のあるものがあるとされ(No.8)、須恵器(すえき)・管玉・刀の出土が報告されている。また、飯倉台(No.33)・赤坂台(No.36)・麻布台(No.49)にも古墳の存在が指摘されている。さらに、古川南岸の三田段丘(No.54)・三田台(No.61)・高輪台(No.71)にも古墳・横穴墓が存在するとされている。ただし、これらの古墳・横穴墓は発掘調査が行われないまま湮滅しているものも多く、その詳細は不明である。
 集落跡は大規模なものは見つかっておらず、長門萩藩毛利家屋敷跡遺跡(No.9)で古墳時代前期の竪穴建物跡が一〇棟、妙玄院跡・妙玄院門前町屋跡遺跡(No.159)において前期と後期の竪穴建物跡が計七棟検出されている以外は、一~三棟程度の小規模なものとなっている。このほかは、遺構に伴ってはいないものの前期・後期の土師器(はじき)片を出土する遺跡であり、現在までのところ明確に中期に比定できる遺跡は、区内では確認されていない。
 一方、東京低地においても古墳時代前期・後期の土師器片が出土するとともに、土坑・溝が検出された遺跡もあり、当時の人々の生活痕跡を窺い知ることができる。
 

図1-2-1-1 港区内古墳時代遺跡および遺物出土地分布図(令和2年3月1日現在)

57亀塚の詳細は次頁の表1-2-1-1参照。149愛宕下については包蔵地の範囲を示した。

表1-2-1-1 港区内古墳時代遺跡および遺物出土地一覧

前頁の分布図・上記一覧表は、港区埋蔵文化財包蔵地(遺跡)分布図(令和2年3月1日現在)をもとに作成した。番号の前に※が付された遺跡は、古墳時代の遺跡として認定されていないが、発掘調査において当該期の遺物が出土した地点である。