第一項 武蔵国内の郡の概要

143 ~ 144 / 323ページ
 律令には別途、その施行細則を定めた式が付随する。一〇世紀半ばまでに完成した『延喜式』には、律令本文には記載されなかった細かい規定が膨大に残されているが、中央官庁のうち民政や租税を管掌した民部省についての式のなかに、全国に置かれた国郡名が列記されている(『延喜式』巻二二・民部上)。
 その武蔵国の条をみると、以下のようになっている。
  武蔵国大管 久良(くらき) 都筑(つづき) 多麻 橘樹(たちはな) 荏原(えばら) 豊島(としま) 足立 新座(にいくら) 入間 高麗(こま) 比企(ひき) 横見 埼玉 大里 男衾(おぶすま) 幡羅(はら) 榛澤(はんざわ) 那珂(なか) 児玉 賀美(かみ) 秩父
 全部で二一郡を管轄する「大国(たいこく)」とされていることがわかり、国のランクとしては最上位に位置する。ほぼ同時期に編纂(へんさん)された百科全書である『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』武蔵国でも配列順は異なるが(国府が所在する多磨郡から記載されている)、掲載されている郡名は同じである。現在の埼玉県・東京都・神奈川県東部にまたがる広大な領域を含んでいた。
 このうち、高麗郡は、駿河・甲斐ほか七国の高麗人を移住させて、霊亀二年(七一六)に建郡したもの(『続日本紀(しょくにほんぎ)』同年五月辛卯条)。一方、『続日本紀』では、帰化した新羅(しらぎ)僧ら七四人を移貫(いかん)して天平宝字二年(七五八)建郡した新羅郡の存在が知られるが(『続日本紀』同年八月癸亥条)、この郡名は右掲の『延喜式』にはみえない。後に新座郡と名をあらためた可能性も指摘されている。したがって創建当初の武蔵国は一九郡であった。
 これらの郡の名は、現在の国分寺市にあった武蔵国分寺跡やそれに関係した各地の瓦窯跡などから出土した瓦の銘文中にみることができ(本章第一節第二項)、その実在を確認することができる。
 これらの諸郡のうち、約三分の一が、利根川南岸・荒川上流・入間川・高麗川流域という武蔵国の北部、すなわち埼玉県北部に集中し、豊島・荏原・多麻郡などが東京都に、久良・都筑・橘樹郡あたりが神奈川県東部にあたる。現在の港区域は、荏原郡の東北部にあたると考えられている。