古代の桜田郷の郷域は、中世末・近世の史料から推測する以外にないが、後北条氏の一族・家臣の諸役賦課の基準としての役高を記した、永禄二年(一五五九)の「小田原衆所領役帳」に、
卅拾貫七(興津加賀守)百文 (中略) 桜田内平尾分
三拾八貫(島津孫四郎)百五拾文 飯倉内桜田善福寺分
弐貫三百(太田新次郎)文 [江戸]桜田池分
拾九貫文(太田源七郎) [江戸廻]桜田村西村分
などとある。ここにみえる「平尾」と「飯倉」は、『御府内備考』がいうように、現在の広尾(渋谷区)・飯倉(港区)、「桜田池」は溜池を指す可能性が高い。
一般に、前掲した『日本地理志料』のように、港区北部から千代田区南部・渋谷区東部にわたる地域が想定されている。