七道制と駅制

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 中央集権国家である日本古代の律令国家は、京から全国に向けて情報伝達のための官道を整備した。養老公式令51朝集使(ちょうしゅうし)条によれば、東海道を筆頭に反時計回りに東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の七道が幹線道路とされ、目的地に最短距離で到達できるように直線的に設定された。各国府は、駅路によって最短距離でつながれたのである。またその道路に沿った諸国がそれぞれの七道に属したので、七道とは広域行政区画でもあった。
 養老廐牧令(くもくりょう)14須置駅条によれば、三〇里(約一六キロ)ごとに駅を置くとされ、同16置駅馬条によれば、七道には大中小の三ランクがあり、京から東方へ向かう東海道や東山道は中路で、駅ごとに駅馬(やくめ)一〇疋を備えることとなっていた。京と地方を往還する急使は、駅ごとに馬を乗り換え、食料の提供を受けながら緊急事態(たとえば対蝦夷(えみし)戦争をめぐる情報交換など)を迅速に伝達していたのである。