現港区域を含む古代の荏原郡内には、設立が古代にまで遡る神社、いわゆる「式内社」が二座存在する。式内社とは、既述した『延喜式』巻九神名上、同巻一〇神名下(延喜式神名帳)に、全国を対象に国郡別に列記された神社登録簿に掲載されている神社のことで、官社とされ(大小のランクがある)、祈年祭に際して国家より幣帛(へいはく)を奉献されることになっていて、当時においても、またその後においても、歴史ある神社の格式を示すものとして重視された。したがって、時代が下るにつれて、現在のどの神社が式内社に該当するのかが曖昧となると、複数の神社の間で論争が生じることもあった。これを「論社」という。
『延喜式』巻九神名上の冒頭は以下のように記載されている。
武藏國卌四座[大二座/小卌二座]
荏原(えばら)郡二座[並/小]
薭田(ひえだ)神社 磐井神社
荏原郡内の二社はいずれも小社である。ちなみに、武蔵国内に二座あったという大社は、足立郡氷川神社と児玉郡金佐奈(かなさな)神社である。