現在の蒲田八幡(かまたはちまん)神社(東京都大田区蒲田四丁目)は近在の五社を兼務しており、そのなかの一つに薭田神社(同三丁目)がある。その社伝によれば、和銅二年(七〇九)に僧行基が天照(あまてらす)・八幡・春日(三社)の三神体を作り、安置したのが始まりだというが、この三社信仰は三社託宣の普及によるものといわれ、室町より前に遡ることはないようである。薭田神社に祭られていた神像のうち春日神一体は、いまは蒲田八幡神社に安置されているともいう(後に焼失)。その名称からこれが式内社の薭田神社にあたるとも推定できるが、本来の社名が蒲田神社である可能性があることからすれば、『江戸名所図会(ずえ)』などが示しているように式内薭田神社を蒲田八幡神社(宮)にあてる方が適当とも考えられる。ただし現在の蒲田八幡神社は、薭田神社が式内社の末裔であると主張している。