『延喜式』には様々な名目で京に貢進された武蔵国物産が記されていて、当時の武蔵国の特産品・名産品を知ることができる。以下にそれを列記する。
麻子(おのみ)(麻の種。履(くつ)を製作する過程で必要になる)・交易絁・交易商布・櫑子(らいし)(食物を盛る蓋付きの台)・紫草(むらさき)(染料)(以上、内蔵寮式)、年料別貢雑物(筆・膠(にかわ)・麻黄(まおう)・麻子)、諸国貢蘇、交易雑物(絁・布・商布・豉(くき)・龍鬚席(五彩に染めた細藺(ほそい)で織った筵(むしろ))・細貫席(草で編んだ敷物の一種)・席、履料牛皮・鞦(しりがい)・鹿革・鹿皮・紫草・木綿・櫑子)(以上、民部省式下)、調(帛〈緋・紺・黄・橡〉、布〈紺・縹・黄〉)、中男(当時は十八歳~二十一歳の男子)作物(麻・紙・木綿・紅花・茜)(以上、主計寮(しゅけいりょう)式上)、諸国進年料雑薬(黄芩(おうごん)以下二八種)(以上、典薬寮式)、年貢御馬・繋飼馬(以上、左馬寮(さめりょう)式)
これらのなかでも、紫草は毎年三二〇〇斤の貢納を義務づけられており、常陸国に次ぐ量となっている。後述する『更級(さらしな)日記』の「むらさき生ふと聞く野」という一節を裏付けるものである。紫や茜といった染料は、一二世紀になっても久良(くらき)郡関係の史料にみえ注目されている(嘉応元年〈一一六九〉「武蔵国税所(さいしょ)注進状」断簡)。
また、これは特産品というわけではないが、繊維製品も目に付く。時代は遡るが、『万葉集』東歌(後述する)のなかには、多摩川の清流に布をさらしていた娘の情景を巧みに詠んだ著名な歌も掲載されている。
多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき(『万葉集』巻一四・三三七三)
布作りは女性の仕事だったので、その情景を詠んだ男性の歌である。