『更級日記』

170 ~ 172 / 323ページ
 寛仁四年(一〇二〇)九月三日、任を終えた上総介(すけ)菅原孝標(たかすえ)は、上総国府を発し東海道を経由して帰途につく。上総国は、常陸国や上野国と並んで親王任国とされ、守(かみ)には親王が任ぜられた。しかしこれは収入だけを得る名誉職であって、現地には赴任しない。したがって現地に赴任した介が実質的なその国の長官であった。
 孝標の娘として九歳~十三歳の少女期を上総国で暮らした『更級(さらしな)日記』の作者は、父にしたがってともに帰京することになる。そして、五十歳を越えての晩年に、自分の人生の回想録ともいうべき『更級日記』を著わすことになるが(更級は夫の任国であった信濃国の郡名。姨捨山(おばすてやま)伝説で著名な姨捨も更級郡内の地名である)、冒頭で、上総から武蔵を経由して相摸に至る、この時の道中の見聞を記しているのである。孝標の娘はこの時、現在の港区内を通る東海道を移動していた可能性が高い(本章第二節および図3-2-2参照)。帰途、武蔵国府に必ず挨拶に立ち寄ったはずだとする見解もあり、その場合はもしかしたら港区内を経由していない可能性もあるが、武蔵国府への公的な支路を往復していれば、港区内の東海道を通過していたはずである。
 まずは『更級日記』から、彼女の回想した武蔵国内の様子を、平安女流文学のきらびやかな雰囲気を知ってもらうために、あえて原文のまま引用する。この文章からその醍醐味を感じていただければと思う。
 
  今は武蔵の国になりぬ。ことにをかしき所も見えず。浜も砂子白くなどもなく、泥のやうにて、むらさき生ふと聞く野も、蘆荻のみ高く生ひて、馬に乗りて弓もたる末見えぬまで、高く生ひ茂りて、中をわけゆくに、たけしばといふ寺あり。はるかに、ははさうなどいふ所の、らうの跡の礎などあり。いかなる所ぞと問へば、「これはいにしへたけしばといふさかなり。国の人のありけるを、火たき屋の火たく衛士にさしたてまつりたりけるに、御前の庭を掃くとて、『などや苦しきめを見るらむ、わが国に七つ三つつくり据ゑたる酒壺に、さし渡したるひたえの瓢の、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見で、かくてあるよ』と、ひとりごちつぶやきけるを、その時、みかどの御むすめ、いみじうかしづかれたまふ、ただひとり御簾のきはに立ち出でたまひて、柱によりかかりて御覧ずるに、このをのこの、かくひとりごつを、いとあはれに、いかなる瓢の、いかにもなびくならむと、いみじうゆかしくおぼされければ、御簾をおし上げて、『あのをのこ、こち寄れ』と召しければ、かしこまりて高欄のつらに参りたりければ、『いひつることいま一かへり、われにいひて聞かせよ』と仰せられければ、酒壺のことをいま一かへり申しければ、『われ率て行きて見せよ。さいふやうあり』と仰せられければ、かしこくおそろしと思ひけれど、さるべきにやありけむ、負ひたてまつりて下るに、ろんなく人追ひて来らむと思ひて、その夜、勢多の橋のもとに、この宮を据ゑたてまつりて、勢多の橋を一間ばかりこほちて、それを飛び越えて、この宮をかき負ひたてまつりて、七日七夜といふに、武蔵の国に行き着きにけり。
  みかど、后、皇女失せたまひぬとおぼしまどひ、求めたまふに、『武蔵の国の衛士のをのこなむ、いと香ばしき物をくびにひきかけて、飛ぶやうに逃げける』と申し出でて、このをのこを尋ぬるになかりけり。ろんなくもとの国にこそ行くらめと、おほやけより使下りて追ふに、勢多の橋こほれてえ行きやらず。三月といふに武蔵の国に行き着きて、このをのこを尋ぬるに、この皇女、おほやけ使を召して、『われさるべきにやありけむ、このをのこの家ゆかしくて、率て行けといひしかば率て来たり。いみじくここありよくおぼゆ。このをのこ罪し、れうぜられば、われはいかであれと。これも前の世に、この国に跡をたるべき宿世こそありけめ。はやかへりておほやけに、このよしを奏せよ』と仰せられければ、いはむかたなくて、上りて、みかどに、『かくなむありつる』と奏しければ、『いふかひなし。そのをのこを罪しても、今はこの宮をとり返し都にかへしたてまつるべきにもあらず。たけしばのをのこに、生けらむ世のかぎり、武蔵の国を預けとらせて、おほやけごともなさせじ。ただ、宮にその国を預けたてまつらせたまふ』よしの宣旨下りにければ、この家を内裏のごとく造りて、住ませたてまつりける家を、宮など失せたまひにければ、寺になしたるを、たけしば寺といふなり。その宮の生みたまへる子どもは、やがて武蔵といふ姓を得てなむありける。それよりのち、火たき屋に女はゐるなり」と語る。
  野山蘆荻の中をわくるよりほかのととなくて、武蔵と相模との中にゐて、あすだ川といふ、在五中将の「いざこと問はむ」と詠みける渡りなり。中将の集にはすみだ川とあり。舟にて渡りぬれば、相模の国になりぬ。
  (『新編日本古典文学全集』本による)