こうした状況下で、桓武天皇の曾孫にあたる高望王(たかもちおう)が、寛平元年(八八九)、平朝臣(あそん)の姓を賜り臣籍降下して、上総介(すけ)に任じられて東下したという。「平氏系図」(『系図綜覧』所収)によれば高望は常陸大掾(だいじょう)にも任官したとあり、良望(よしもち)(国香(くにか)とも)・良兼・良持(良将とも)、良正などの子息らも鎮守府将軍、常陸大掾、上総介、下総介に任官しており、常総地方に強大な権力基盤を形成していった。こうして桓武平氏の一族が関東において「兵(つわもの)の家」として台頭し、地域の紛争をその武力で解決していったのである。
平高望の子孫からは相摸国の中村・三浦・大庭(おおば)・梶原・長尾の各氏、武蔵国の秩父氏、下総国の千葉氏、上総国の上総氏などが分出し、これを坂東八平氏と呼ぶが(異説もある)、そこからさらに支流が分かれ、各地に勢力を張っていった。たとえば、武蔵国の秩父氏からは豊島氏・葛西氏・江戸氏が分かれている。