平将門の乱前史

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 しかしながらこうした有力武士相互の間でも、その所領や地元豪族との婚姻をめぐる争いが生じていた。平将門は父から受け継いだ下総国猿島(さしま)郡・豊田郡・相馬郡などを基盤としていたが、その遺領をめぐって伯父の平国香(常陸)・良兼(上総)・良正(下総)らと対立関係にあり、良兼と紛争を起こしたのをきっかけに、承平五年(九三五)には常陸国の国香を殺し、さらに伯父良正の軍をも破ることとなる。こうして平将門の乱にいたる前提が形成されていった。
 以後も将門は一族との間で激しい抗争を続けることになる。既述したように一族の多くは下総国や常陸国の国衙在庁官人(こくがざいちょうかんじん)であり、その争いは他の関東の豪族をも巻き込み、反国衙闘争、さらに国家への反乱とエスカレートしていくことになる。なおこうした将門の乱の詳細は『将門記』という戦記文学の傑作によってかなり具体的に知ることができる。