乱の終焉

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 ところが天慶三年二月十四日、将門が常陸大掾平貞盛・下野押領使(おうりょうし)藤原秀郷の軍勢に攻められてあえなく戦死すると(『将門記』は、将門が神の放った鏑矢(かぶらや)に当たったという)、乱は急速に収束に向かった。上総介に任じられていた興世王もその後、上総国で戦死(『将門記』)、武芝は国司と争って郡家(ぐうけ)を退き、武蔵国一宮氷川神社の祭祀権を失ったというが(「西角井(にしつのい)系図」。西角井家は足立郡司の末裔とされる)、詳細は定かではない。なお、都内には将門の首塚をはじめとして、様々な将門伝説が分布していることも興味深い。