本節冒頭で触れたように、豊島氏・葛西氏・江戸氏は秩父流平氏の末裔である。その祖将常は平高望の曾孫で、武蔵権守となり、秩父郡に本拠をおいて秩父盆地を開発し、秩父氏を称したという。また将常の嫡子武基は秩父牧の別当に任じられたという。さらにその孫重綱の時から、秩父氏は武蔵国留守所惣検校職(るすどころそうけんぎょうしき)の任にあったという。留守所惣検校職とは現地に赴任しなくなった国司にかわって、留守所の在庁官人を指揮した要職である。
内水面交通についてみれば、秩父から流れ出す荒川沿いあるいは入間川沿いに、また陸上交通面についてみれば、武蔵国府と上野国府を結ぶ街道沿いや海上交通との接点に、それぞれ秩父流平氏が色濃く分布していることが指摘されている。秩父流平氏はこうした交通の要衝をおさえて発展し、中世武士団へとつながっていくことになる。