渡辺綱

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 その充の子に綱(つな)がおり、源頼光の郎等(ろうとう)として世に知られ、四天王の一人に数えられた。主君頼光に従って酒呑童子(しゅてんどうじ)や鬼同丸(きどうまる)を退治した説話は、子供向けの昔話にもなってよく知られている。
 この綱の生地を、おそらく「みのた」の音との類似により、港区三田あたりとする伝承がある。『港区史』上巻、『新修港区史』もこの説を紹介し、綱坂・綱町の地名や、あるいはオーストラリア大使館内に、その産湯(うぶゆ)の井戸といわれるものが残されていることに言及するが(現在では大使館の区域外)、『御府内備考』『江戸名所図会(ずえ)』の段階で否定されており、これらはいずれも後世の付会になるものとして信をおき難いといわざるを得ないであろう。これが正しければ、古代末期の兵と港区との関係を示す説話の一つとして重要になるのであるが。
 結局のところ、箕田村説も三田説もいずれも確たる根拠はないわけであるが、あえていえば箕田村説の方に分があるであろう。