この飯倉の地名の語源については、洪水干魃(こうずいかんばつ)に備える穀倉である「義倉(ぎそう)」とする説(『江戸砂子』『御府内備考続編』、また『新編武蔵風土記稿』に引く一説)、伊勢神宮の神餞稲を納める神厨(みくりや)の穀倉とする説(『御府内備考』『江戸名所図会(ずえ)』『新編武蔵風土記稿』)などがあるが、『東京市史稿』はこれらを否定したうえで、強いていえば、御田(みた)郷(多氷屯倉(みやけ)に属する王田。第二章第二節第四項)との関係からその「穀倉」説を唱えている。多氷が荏原(えばら)郡大井であればなお都合がよいわけであるが、既述したようにこの説は困難である。