また『大日本地名辞書』芝区飯倉の項では、
飯倉の名義を釈き、之を御厨の穀倉に引きあつるは疑ふべし、穀倉をイヒクラと唱ふる例を聞かず。中世に当り、此地は伊勢神領に属し、今の芝神明は其庤(かむだち)にあたり、其庤も飯倉山の下に在りて、今の丸山即飯倉山なりといへり。因(よっ)て按(かんが)ふに、飯盛とて諸方に飯顆(はんか)状の山名多ければ、此なる丸山も其例にもれず、飯座(いいくら)てふ古語は、飯を器に盛りて据ゑ置くことを云ひ、即飯の置座に似たる丸山に名つけて、飯座と云へること明けし。
と、『江戸砂子』や『江戸名所図会』などに芝大神宮の旧社地と伝えられる増上寺境内の飯倉山、すなわち丸山(丸山古墳のある丘陵)と関連して、「飯座」説を唱えている。この「飯座」説は、古墳と飯や稲に対する信仰・習俗のうえからも注目すべきであろう(『新修港区史』)。