武蔵国の武士団の特徴

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 中世は政治史上の時代区分では、院政期から始まるとする見解が一般的だが、時代相としての最大の特徴は軍事社会という側面であり、武士が支配的社会階級として活躍した時代であった。
 港区の位置する地域は、武蔵国の南東部にあたり、他の関東各地域と同じく中世には武士たちが活動した地域であった。武蔵国では武蔵七党(むさししちとう)と呼ばれた武士団の活躍が知られるが、東国の他地域の武士団とは異なる特徴があった。東国の武士団は、常陸国の佐竹氏、上総国の上総氏、下総国の千葉氏、相模国の三浦氏、下野国の小山氏などにみられるように、惣領家を頂点にした庶子家との結合による惣領制的大武士団を構成することが特徴である。庶子分割相続により国内の各地に庶子が相続した地名を姓として惣領家の指揮に従い、幕府成立後は惣領家の支配のもとに将軍に軍事的奉公を行う形態といえる。ところが、武蔵国ではこのような惣領制的結合による武士団は、秩父平氏流の畠山・河越・豊島・江戸氏等がみられるものの、武蔵以外の東国に比べると規模は大きくない。むしろ、党と呼ばれる地縁的かつ共和的結合の小武士団が多く存在したことに特徴があった。個々の小規模な武士が近隣の武士たちで盟約を結び、地縁的結合で団結して外敵を防御する集団である。これらは血縁集団から非血縁集団に拡大して党としての結合をみても、関東諸地域の大豪族的な惣領庶子結合の大武士団とは比較にならない小規模なものであることに特徴を持っている。武蔵国は多くの党と大規模とはいえない惣領制的結合の武士団が乱立していたのである。