江戸氏の衰退

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 さて、南北朝動乱の中で江戸氏は第一章で述べたように平一揆の乱という事件によって衰退していく。港区域内にその本貫地がある江戸氏庶流金杉氏、飯倉氏の惣領家である秩父流桓武平氏の江戸氏は、豊島・葛西・渋谷・畠山・河越氏などと同族で、相模・武蔵国平姓の武士を結合した平一揆の一員として、武蔵野合戦でも尊氏方として大いに活躍した。相模守護にも任命された河越直重が基氏を助けて活躍していたが、貞治六年(一三六七)基氏の死去後、幼少の足利金王丸(氏満)が鎌倉公方の後任と定められた。続いて同年末に死去した将軍義詮の跡を継いだ義満に挨拶に赴いた上杉憲顕の留守を狙って、河越直重はかつて敵対した上杉氏に権力が集中することを阻止するため、平一揆を率いて武蔵河越館に立て籠り蜂起したが、鎮圧され平一揆は直重とともに没落した。この事件によって武蔵国の江戸氏は大打撃を受けて多くの所領を没収され、かつての勢力を失ったのである。