目次
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中世 第二章 中世後期の港区域
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第四節 港区の城館
太田道灌塁
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芝神谷町(現在の虎ノ門五丁目)には、文明年間に太田道灌によって築城された別名番神山城(ばんじんやまじょう)とも呼ばれる平山城があったという。江戸時代に出石藩仙石家藩邸があった場所である。江戸時代から土取場(つちとりば)として掘り崩されていたが、明治時代までは土塁などが明瞭に残っていたという。標高二〇メートル、二〇〇×一〇〇メートルの規模で、江戸城の南を固める拠点として築かれたのであろう。