中世城館の痕跡

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 港区域には、鎌倉時代以来、江戸氏庶流の飯倉氏をはじめ、金杉氏・桜田氏などの城館が存在していたことは確実である。また、「小田原衆所領役帳」に記載される港区域に給地を与えられていた嶋津氏・太田氏などの後北条氏被官も、散在所領の形態だったとはいえ、最大所領が港区域にあるような場合は、根小屋(ねごや)と称する館がその地にあったことは想定できるだろう。港区は、東京都の諸地域の中でももっとも開発され都市化が進捗した地域であって、往時と自然地形はまったく変わってしまっているので、今日当時の城館跡の遺構を確認することは至難の業である。舌状(ぜつじょう)台地の先端部分に築かれることが多い中世の山城も、ビル建設や都市再開発に見るような大規模な土木工事によって、城郭遺構はもちろん自然地形も大きく変更されてしまっているので、江戸時代の史料によってその位置や規模を推定するほかはない。今井兼平や熊谷直実を城主とするような伝承は、歴史的事実とする史料がないものであるが、いつの時代に誰かによって築かれた城があったことは信じてもよいと思われる。