板碑の生産と流通

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 板碑には、背面や基部に帯状の工具痕(押し削り痕)や、正面に碑面割り付けのための割付線がみられるものがある(図3-3-6の右側)。近年では、こうした加工の痕跡を手掛かりに、板碑の製作工程を明らかにする研究も進められている。また、埼玉県小川町や長瀞(ながとろ)町などは緑泥片岩の石材産地として知られているが、とくに小川町下里割谷の採石場跡では、たくさんの破砕礫の中に押し削り痕のある石片が認められる。さらに、板碑未成品を製作途上の外形成形加工を行った証拠も発見され、中世における大規模な採石と板碑製作の様子が知れる遺跡として、平成二十六年(二〇一四)に国指定史跡「下里・青山板碑製作遺跡」となった(図3-3-7)。
 

図3-3-6 浅草寺型蓮座板碑(台東区・浅草寺)

図3-3-7 下里・青山板碑製作遺跡(埼玉県小川町)


 
 これらの発見や研究の成果から、板碑は石材産地で製作された未成品が各地の加工地へ搬出され、そこで種子や蓮座、銘文等の彫刻、さらに金箔や赤色顔料(朱)での加飾が行われた後に造立地へ供給される、という過程が明らかになってきている。とくに、関東各地にあったと考えられる加工地については、同形の種子や蓮座の分布をみることで、その中心地に加工地を想定する試みがなされている。よく知られた事例に、多摩川流域を中心に分布する「蝶形蓮座」があるが、区内では確認できていない。そこで、近年指摘をみる「浅草寺型蓮座」を例にみてみたい。浅草寺型蓮座とは、応永年間(一三九四~一四二八)を中心にみられる特徴的な形の蓮座で、最初に浅草寺遺跡(東京都台東区)で確認したことからこのような名称を付した。その形は、蓮座中央の蓮弁が三角形を呈し、その下に線彫りで台形状の花弁をあらわす(図3-3-6)。この蓮座を刻む浅草寺型蓮座板碑は、浅草寺遺跡を中心に約七〇基が確認できる(図3-3-8)。その分布は、台東・文京・千代田・新宿・墨田・葛飾・江戸川・大田・品川区から千葉県市川・松戸・柏市、埼玉県八潮・三郷市などの東京湾北部沿岸に広がり、浅草寺遺跡を中心に、距離が離れるにつれ基数を減らす「同心円状の分布」をみせる。この同心円の中心に板碑製作地が想定され、分布が流通の広がりとなってあらわれると考えられる。つまり、浅草寺型蓮座板碑の分布は隅田川流域、とくに浅草地域で製作された板碑が、各造立地に運ばれたさまを物語っていると考えられる。さらにこの分布は、浅草地域を中心とする陸上・水上交通の経路と重なることにも注意したい。区内では未確認ながら、善福寺と明称寺(南麻布)にあるようで、今後の精査がまたれる。
 

図3-3-8 浅草寺型蓮座板碑分布図
『東京湾と品川』(品川区立品川歴史館、2008)所収図をもとに加筆し作成