「近世考古学」の確立へ

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「考古学は、過去人類の物質的遺物(により人類の過去)を研究するの学なり」。これは濱田耕作(一八八一~一九三八)が、大正一一年(一九二二)に出版した『通論考古學』(濱田 二〇一六)で示した考古学の定義であるが、ここにあるように、本来、考古学は、対象とする時代に制約はない。にもかかわらず、日本考古学が本格的に近世遺跡全般を調査・研究の対象としてから半世紀は経っていない。学史上、その画期は昭和四四年(一九六九)に求められる。
 無論、それまでも考古学が近世を扱うことに対して理解がなかった訳ではない。昭和四年(一九二九)には、鳥居龍蔵が東京の地下から発見される江戸時代の遺物が東京の歴史研究に重要な意味をもつことを説いている(鳥居 一九二九)し、近世考古学の研究史を平易にまとめた坂誥秀一によれば、昭和三年に出版された石野瑛著の『考古要覧』や、昭和一二年に後藤守一が著した『日本歴史考古學』などの研究書によって、考古学が扱う時間的な範囲は飛躍的に拡大したという(坂誥 一九九四)。また、東京では昭和二〇年代後半から四〇年代にかけて、形質人類学を専門とする河越逸行と鈴木尚が、今日の近世墓研究につながるさまざまな成果を挙げている(港区立郷土歴史館編 二〇一九)。しかし、それでもなお、日本考古学界では、近世の考古学は中世と一体で論じられることが一般的であるなど、独立して扱われることはほぼ皆無であった。
 そうした中、昭和四四年四月、中川成夫・加藤晋平は、日本考古学協会第三五回総会の場で「近世考古学」を提唱した。中川・加藤は、考古学は物質的資料を媒介として研究する学問であり、対象とする時間は限定されないことから、歴史的区分の一つである「近世」も当然含まれるとした(中川・加藤 一九六九)。ここに、近世考古学が初めて特化されたといってよい。