遺跡数の推移

33 ~ 33 / 499ページ
 港区内の遺跡所在地を示した地図が初めて整備されたのは、昭和四九年(一九七四)のことであった。遺跡地図は、文化庁が進めていた全国規模での遺跡地図整備事業の一環として、東京都教育委員会が作製したものであるが、この時点で近世遺跡として地図に登載された港区内の遺跡は三遺跡であった。総数六九遺跡のうちの約四パーセントに過ぎない。しかし、およそ一〇年後の昭和六〇年には、六倍の一八遺跡(遺跡数八四遺跡に対し約二一パーセント)に増えた。港区が、近世遺跡の調査・研究に着手して間もなくのことである。しかも、この間に新規追加された遺跡はすべて近世遺跡もしくは近世を主体とする遺跡であった。さらに平成四年(一九九二)には六一遺跡となり、全遺跡数(一一一遺跡)の半数を超えた。その後も近世遺跡は確実に増加し、令和三年(二〇二一)三月一日現在、港区内に存する近世遺跡は一九二か所になった。これは、遺跡総数(二四二か所)の約八〇パーセントに当たる。