遺跡の分布と立地

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 港区は近世都市「江戸」を基に形成されたまちといっても過言ではない。したがって理論上、港区内の此処彼処に近世、特に江戸時代のさまざまな遺構・遺物が眠っているはずである。このことを裏付けるように、近世遺跡の分布は港区内全域に及んでいる。とはいえ、その密度は一様ではなく、港区内の北東域で濃く、北西域および南西域では薄い。これは、戦後のビル建設や開発の規模、速度の違いによるところが大きいが、近世の土地利用の在り方を反映している可能性も考慮する必要がある。例えば大名屋敷に着目すると、都市近郊的な色合いが濃くなる北西域や南西域に造営された下屋敷は、空地や叢林など、さほど活発に利用されない空間が増すことから、遺跡認定の条件となる遺構や遺物包含層が検出されないことも少なくない。
 こうした港区内の遺跡分布状況は港区教育委員会作成の「港区埋蔵文化財包蔵地(遺跡)分布図」の他に、東京都教育委員会がウェブサイト上で公開している遺跡地図によって知ることができる。
 これらの近世遺跡は、台地、低地及び海浜部の埋め立て地で発見されており、立地条件を問わない。ことに広大な面積をもつ大名屋敷跡遺跡や寺院跡遺跡は、台地から斜面を経て低地に及ぶことがある。ただし、低禄武士の屋敷跡遺跡や町屋跡遺跡は低位の土地に立地する傾向が強い。また、港区には海上遺跡とでも呼び得る特徴的な遺跡が存在する。「品川台場遺跡」として総称される四か所(第一・第三・第五・第六)で、国の史跡指定を受けている第三(No.62-1)・第六(No.62-2)は現在もなお海上にある。これらは関東大震災時に施設の倒壊などはあったものの、石垣や土塁、船着き場など、構築当初の姿をほぼ留めている遺構も確認される。品川ふ頭に埋没した第一(No.62-3)・第五(No.62-4)も、ふ頭建設前は海上に立地していた遺跡である。
 こうした立地条件にかかわらず、港区内のほとんどの近世遺跡は、厚みに違いはあるものの盛土層を伴う。これは、近世の江戸ではいずれの屋敷造成でも、規模の大小はともかく多くの場合に切り土・盛土の地形改変が為されたことを示している。
 立地条件はまた、遺跡から発見される遺構や遺物に影響を及ぼしている。水分を多く含む低地の遺跡では木質・植物質の遺構・遺物が台地の遺跡に比して多種多様で、しかも残存状態が相対的に良好である。台地の遺跡では、堅牢な関東ローム層を掘り込んで構築されたさまざまな施設の痕跡がしばしば良好な状態で検出される。