遺跡の種類には、大名屋敷跡、武家屋敷跡(大名屋敷ではないことが明らかであるか区分が困難な場合)、寺社跡、墓所跡、墓跡、町屋跡、幕府御用地跡、上水跡、道路跡、砲台跡、池跡、貝塚がある。
遺跡数では、大名屋敷を含む武家屋敷跡遺跡が九一遺跡(四五パーセント)と多く、寺社跡が六一遺跡(三〇パーセント)とこれに次ぐ。門前町屋を含む町屋跡は三一遺跡(一五パーセント)、上水跡・砲台跡などのその他の遺跡が二〇遺跡(一〇パーセント)の順となる(種別が重複している遺跡が一一遺跡存在する)。もともと江戸のまちは広大な武家地が約七割を占め、残りの空間を寺社地と町人地でほぼ同等の占有率で分け合っていたとされており、武家屋敷跡遺跡の件数が多いのは自然の道理である。寺社跡遺跡には、人骨のみが発見された地点が含まれており(大名墓所のみを遺跡認定した済海寺越後長岡藩主牧野家墓所と寺院の存在が明確ではない港区No.183遺跡は社寺跡としていない)、多くの場合は旧境内を遺跡として認定しているが、発掘調査が境内全域に及ぶことは極めて稀である。町屋跡遺跡が少数なのは、町人地そのものが江戸のまち中で占める割合が小さいことも然ることながら、道路沿いに形成されていること、工事面積が概して狭小となる傾向が強いことから掘削に困難をきたすなど、遺跡の発見や調査に及ぶ機会が少ないことも要因として挙げられる。 (髙山 優)