江戸図屛風

44 ~ 47 / 499ページ
 この『江戸庄図』とほぼ同時期の江戸を描いたものとして知られているのが、国立歴史民俗博物館所蔵の「江戸図屛風(えどずびょうぶ)」である。これは六曲一双の屛風で、それぞれ縦一六二五ミリメートル、横三六六〇ミリメートルである。左隻(せき)には江戸城と日本橋南北の町人地、愛宕下と増上寺から品川へ、さらには郊外の目黒・碑文谷(ひもんや)・池上から遠く富士山まで、右隻には湯島・外神田から浅草寺、さらには遠く鴻巣(こうのす)や川越での狩猟場面までが描かれている。水藤真の考証によれば、その景観年代(いつ頃の江戸を描いたものであるか)は寛永一〇年(一六三三)一二月一七日以降、翌一一年(一六三四)二月までの期間に絞り込め(水藤 一九九一)、また黒田日出男の考証によれば、屛風は同一一年から同一二年(一六三四~一六三五)六月二日までの間に、松平信綱が絵師に制作させたものであるという(黒田 一九九三)。すなわち『江戸庄図』とほぼ同時期の景観を描いたものとして、その立体的な姿を知ることができる重要史料ということになる。
 港区域の描写は屛風の左隻第四扇から第五扇に相当する(図1-1-1-3)。まず第四扇の下部に注目すると新橋の描写が見え〈3-①〉、品川方面へと続く東海道沿いと外堀沿いに町屋が連なっている。町屋の屋根は柿葺(こけらぶき)、板葺が多く、一部瓦葺も見られる。東海道沿いの町屋については庇下(ひさしした)がアーケード状(本節四項参照)になっていることもわかる〈3-②〉。また外堀沿いには材木類がうずたかく積み上げられているのも目を引く〈3-③〉。
 次に武家屋敷については、芝口(現在の新橋一~三丁目、東新橋一丁目ほか)付近および愛宕下(現在の新橋三~五丁目、西新橋一~三丁目)、溜池(現在の赤坂一~二丁目)付近に数軒分の大名・旗本屋敷の描写が確認できる〈3-④~⑥〉。いずれも四周を塀または長屋が取り巻き、内部に柿葺の御殿が建つ構成となっている。溜池付近に見られる武家屋敷は『江戸庄図』に記載のあった「やかた町」に当たるものであろう。
 寺社地については増上寺の境内が特に大きく描かれている。『江戸庄図』では三門(現存)が描写されるのみであったが、本屛風では寛永一一年(一六三四)に再建されたばかりの本堂のほか、東照宮(第二次安国殿)・開山堂(旧第一次安国殿)・崇源院霊牌所(第一次)・台徳院霊廟などの建築が克明に描写されている〈3-⑦~⑪〉。三門の前には台徳院霊廟へと向かう行列〈3-⑫〉が見えるが、これは三代家光の御成の場面を描いたもので、「御仏殿江御参詣之所」との押紙(注釈を記して貼り付けた紙のこと)が付される(水藤前掲論文によれば、押紙に「御」を付けるのは将軍の事蹟に限られるという)。三門に向かう道筋の両側には築地塀で囲まれた屋敷が見えるが〈3-⑬〉、これは増上寺の子院(しいん)群(『江戸庄図』では「寺家衆(じけしゅう)」)と考えられる。
 さらに第五扇の下部に目を移すと、街道を馬で南下する人が橋〈3-⑭〉を渡ろうとする場面が見える。位置関係からすると、金杉川(新堀川、古川)に架かる東海道の金杉橋であろうか。注目されるのは街道沿いの町屋の屋根で、石置き屋根や茅葺(かやぶき)などの鄙(ひな)びた様相を見せる。同じ東海道でも日本橋付近は瓦屋根が目立っているので、都市の中心から場末への推移は屋根の面でも描き分けられていることがわかる。

図1-1-1-3 「江戸図屛風」左隻第4・5扇
国立歴史民俗博物館所蔵 一部加筆