武家地とその類型

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 城下町において武士の居住地区を武家地という。江戸の武家地は広く、都市域の七割弱を占めていた(宮崎 一九九二)。江戸の武家屋敷は基本的に将軍家から下賜されたもので、これを拝領屋敷(はいりょうやしき)という。拝領屋敷は宅地所有権の付与とは異なっており、幕府の都合により召し上げや移転を命じられることもしばしばあった。
 将軍から一万石以上の領知を与えられた者を大名という(ただしこの基準が明文化されるのは寛永一二年〈一六三五〉の武家諸法度からである)。大名は通常複数の江戸屋敷を拝領した。すなわち江戸における本邸を上屋敷(居屋敷(いやしき))、隠居や世嗣の居所を中屋敷、郊外の別邸を下屋敷、年貢や物資の保管庫を蔵屋敷といった。大名は将軍との親疎に応じて、親藩(同時代的には「家門」「一門」が一般的)・譜代・外様に分けられる。石高一万石未満のうち、御目見(おめみえ)以上を旗本、以下を御家人という(二章二節一項参照)。旗本は通常は一か所の屋敷を与えられてそこに居住したが、上級の者は下屋敷も拝領する場合もあった。御家人ら下級幕臣については一人別ではなく職務の組ごとにまとめて屋敷を拝領することも多く、これを大縄屋敷(おおなわやしき)(大縄地)または組屋敷といった。
 郊外では大名や幕臣らによる百姓地の買得(ばいとく)(購入)がみられ、これを抱地(かかえち)(田畑として所持する場合)・抱屋敷(かかえやしき)(囲・家作を行い屋敷化した場合)という。抱屋敷は後に拝領屋敷に振り替えられることもあった。
 以上の点を基礎知識として、以下では寛文期(一六六一~一六七三)頃までの港区域の武家地の様相について見ていくことにしたい。