芝口・愛宕下・西久保

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 図1-1-2-1は、『武州豊嶋郡江戸庄図』(図1-1-1-2)のうち港区域にあたる芝口・愛宕下・西久保の武家屋敷の分布を示したものである。ここは外堀を隔てた北の外桜田・大名小路と同様に外様大名の屋敷が多いところで、なおかつ港区域では珍しく上屋敷が目立つ。一方で家門・譜代大名の屋敷は一つも見えず、外様以外の大名屋敷は、寛文五年(一六六五)九月二八日に越前大野藩(五万石)の家門松平但馬守(直良(なおよし))が旧伊予西条藩一柳監物(ひとつやなぎけんもつ)(直興(なおおき))屋敷を拝領したのが記録上の初見である(以下、武家屋敷の拝領時期については特に記載のない限りは『東京市史稿 市街篇』〈東京市編 一九二八〉による)。
 幕政に関与しないため政局による立場の変動を受けにくかった外様大名は、それゆえ比較的安定的に屋敷を所持しえた。実際、『江戸庄図』に記載のある屋敷のうち、豊後臼杵(うすき)藩稲葉家(五万石)上屋敷〈1-①〉、伊勢菰野(こもの)藩土方家(一万一〇〇〇石)上屋敷〈1-②〉、大和小泉藩片桐家(一万六〇〇〇石)上屋敷〈1-③〉、仙台藩伊達家(六二万石)中屋敷〈1-④ 二章一節一項参照〉の四屋敷(領知と石高は『江戸庄図』時点)は幕末まで拝領主の変動がなく、一貫して維持された。現在の区立塩釜公園に隣接する鹽竈(しおがま)神社は仙台藩中屋敷の邸内社に由来するものである(図1-1-2-2)。

図1-1-2-1 『武州豊嶋郡江戸庄図』芝口・愛宕下・西久保地区の武家屋敷分布(部分)
国立国会図書館デジタルコレクションから転載 一部加筆

図 1-1-2-2 鹽竈神社
新橋五丁目