図1-1-3-5は『寛文五枚図』に描かれる寛文一三年(延宝元・一六七三)頃の三田寺町で、この寺院を一覧にまとめたものが表1-1-3-2である。ここには計三八の寺院が確認できるが、このうち二一か寺が寛永一二年(一六三五)に移転してきた寺院である。これらの旧地は全てが八丁堀にあったことが注目される。八丁堀は江戸の最初期に寺町があったが、江戸城の構築にともなってこれらの寺地は召し上げられ、芝・三田・高輪・浅草などに替地された。八丁堀の寺町の様相は『江戸庄図』に描かれており(図1-1-3-6)、後に三田に移転することになる寺院の名前をいくつか見出すことができる。ここには妙厳院(みょうごんいん)や多聞寺(たもんじ)の記載も見えるので、これらもおそらく寛永一二年(一六三五)に移転したと考えられ、これを加えると二三か寺が移転したことになる。その後も西久保などからいくつかの寺院が移転してきて、寺院数はさらに増加する。
表1-1-3-2 『寛文五枚図』の三田寺町寺院
図1-1-3-5 『寛文五枚図』三田寺町部分
『新板江戸外絵図 赤坂、麻布、芝筋』国立国会図書館デジタルコレクションから転載 一部加筆
図 1-1-3-6 『武州豊嶋郡江戸庄図』八丁堀寺町部分
国立国会図書館デジタルコレクションから転載 一部加筆
宗派が明らかになる寺院三五か寺のうち、浄土宗は最大の一二か寺を占め、ついで曹洞宗八か寺、新義真言宗七か寺、天台宗四か寺、真宗東派二か寺、日蓮宗・臨済宗各一か寺と続く。港区内で寺院数の多い浄土宗と曹洞宗が一位と二位を占めることは順当であるが、港区域内第四勢力である日蓮宗寺院は薬王寺の一か寺にとどまる。立地としては小規模に宗派ごとのまとまりは見られるものの、明確にゾーニングされているわけではない。