次に、東海道に直交する外堀沿いの町について見よう。『江戸庄図』(図1-1-4-1)には外堀に並行して片側町が確認でき、葺手(ふきで)町(現在の新橋一丁目)、鍋町(現在の新橋一丁目)、兼房(けんぼう)町(現在の新橋一丁目)、備前町(桜田備前町、現在の西新橋一丁目)、鍛冶町(桜田鍛冶町、現在の西新橋一丁目)、大工町(桜田和泉町、現在の西新橋一丁目)、善右衛門(ぜんえもん)町(桜田善右衛門町、現在の西新橋一丁目)、伏見町(桜田伏見町、現在の西新橋一丁目)、久保町(桜田久保町、現在の虎ノ門一丁目)、太左衛門(たざえもん)町(桜田太左衛門町、現在の虎ノ門一丁目)の名前が見える。葺手町・鍋町・鍛冶町・大工町などの町名からは同職集住の町であることがうかがえるが、実際に「江戸図屛風」では外堀に沿って資材が積まれているのが見え(図1-1-4-2右端)、これらの町が水路へのアクセスのよい場所に成立していることがわかる。なお備前町以下七町が町名に桜田を冠しているのは、これらがもと霞ケ関付近の桜田村から慶長七年(一六〇二)頃に移転してきたことによるものであり、これらは総称して桜田七箇町と呼ばれる。なお旧桜田村の一部は溜池端、ついで坂上を経て寛永元年(一六二四)に麻布に移転し、麻布桜田町と唱えている。