西久保通・三田通沿いの町

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 西久保通・三田通は虎ノ門外から愛宕山の西側を南下し、赤羽橋を渡って三田に出て、札ノ辻で東海道に合流する古くからある道で、現在の桜田通りに相当する(図1-1-4-3)。「寛永江戸全図」(一六四二~一六四三)の段階では、北側は武家地で、ついで天徳寺を経て前項で見た西久保の寺町となり、その南に町場(飯倉町一~五丁目、現在の麻布台一・三丁目、東麻布一~二丁目、芝公園四丁目)が続く。さらに赤羽橋の南方には三田一~三丁目(現在の三田二~三丁目)および芝通新(しばとおりしん)町(現在の芝五丁目、三田三丁目)に該当すると思われる町場が見える。これらは当時百姓地に位置しており、寛文二年(一六六二)に人別支配が町奉行に移管されて町並地となった。