赤坂の町

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 戦国期、赤坂台地の東部に一ツ木(一木)村という村が存在していた。同村はかつての奥州街道に沿っており、一ツ木とは人馬継立ての「人継」から来たものであろうか。同村内の赤坂見附付近には町場が形成され、後に寛永一四年(一六三七)の見附工事にともなって赤坂門外に移転した。赤坂で最初に開かれた町であるために元赤坂町と称したという。
 また徳川家康入府後の天正一九年(一五九一)には伊賀者がこの地に土地を与えられ、ここにやがて百姓町屋が形成されて赤坂一ツ木町(現在の赤坂二・四~六・八丁目)となった(元禄九年〈一六九六〉に町奉行支配地に編入)。
 溜池付近の土地は、寛永一二年(一六三五)頃までは外堀普請のための土置場とされていたが、寛永一三年(一六三六)に京橋北の南伝馬町(現在の東京都中央区京橋)に助成として与えられ、赤坂伝馬町(後の赤坂表伝馬町、赤坂裏伝馬町、赤坂田町、現在の元赤坂一丁目、赤坂二~三丁目)が開かれることになった。これらの町は国役(くにやく)(町人に課せられた労働などの奉仕)として道中伝馬役を課され、南伝馬町の直接支配を離れた後も同町への助役を務めた。