寺社境内に成立した町屋敷を門前町屋という。門前町屋が一般の町と異なるのは、公役が賦課されず寺社への役銀を納めるだけで済むという点で、それゆえ居住者の負担は比較的軽かったとみられる(金行 二〇 〇〇)。
門前町屋は近世初期から形成されており、慶長三年(一五九八)に芝増上寺門前に、同一二年(一六〇七)に芝西応寺門前にそれぞれ町場が形成されたのが早い例である。門前町屋は寺社にとっては貴重な収入源となったので、その数は時代が下るごとに増加していった。それにともない、実態としては一般の町場同然となっていったとみられ、延享二年(一七四五)には管轄が寺社奉行から町奉行へと移管され、また近世後期になると、一般の町と同様に、居住者が町屋敷を自由に売買することができるところも現れてくる(吉田 一九九一)。
以上、本節では主に寛文期(一六六一~一六七三)頃までの都市形成過程について概観してきた。こうして成立を見た武家地、寺社地、町人地の詳細については二章以降を参照されたい。 (岩本 馨)