地震の痕跡

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 都心の遺跡で確認される地震の痕跡は、液状化痕・地割れ痕・地滑り痕の三種類に分類され(池田 二〇〇九)、港区内では液状化痕・地割れ痕の二種類が現在までに確認されている。
 液状化現象は、ゆるく堆積した砂層に著しく強い振動が加わることによって地層全体が液体状になる現象で、臨海部に近い沖積(ちゅうせき)低地内にある埋立地だけでなく、内陸部でも古い河道を埋め立てた谷底地形などで起こりやすいと言われている。液状化が起こると、地中にある軽い物体が地表面に浮き上がり、地表にある重い物体が地中に沈み込むと共に、地中の砂層から砂が噴き上がる(噴砂)。遺跡で発見される液状化現象の痕跡も、土層断面や地表に見られる噴砂や、筋状に残された砂の痕(砂脈)であることが多い。汐留遺跡(播磨龍野藩脇坂家・陸奥仙台藩伊達家・陸奥会津藩保科家屋敷跡〈No.98〉)の仙台藩伊達家屋敷(二章一節一項参照)地内では、礎石建物跡の間を縫うようにして幅一センチメートル前後の砂脈が二〇メートル四方に広がっている(図1-3-コラムA-2)。また、別地点の土層断面では、地震発生当時の生活面より一メートル下にある砂層から噴き出した噴砂痕が見つかった(図1-3-コラムA-3)。後者は汐留遺跡で確認された中では最大規模の噴砂痕で、これに引きずられるようにして、周辺の整地層に土層のズレが生じていることが確認できる。噴砂が生じた当時の生活面は、天明(てんめい)四年(一七八四)以降に形成されたものと捉えられることから、この液状化現象は天明四年(一七八四)、文化(ぶんか)九年(一八一二)、安政元年(一八五四)に発生した大規模地震のいずれかで生じたと考えられている(東京都埋蔵文化財センター編 二〇〇〇、二〇〇三)。

図1-3-コラムA-2 伊達家屋敷の砂脈痕跡
東京都埋蔵文化財センター編『汐留遺跡Ⅱ 第1分冊』(東京都埋蔵文化財センター調査報告第79集、2000)から転載
提供:東京都教育委員会

図1-3-コラムA-3 伊達家屋敷の噴砂痕跡(土層断面)
東京都埋蔵文化財センター編『汐留遺跡Ⅲ 第1分冊』(東京都埋蔵文化財センター調査報告第125集、2003)から転載
提供:東京都教育委員会


 低地で起こる液状化現象に対し、台地上で生じる地割れ痕は、地表や土層断面にヒビや土層のズレとして現れる。長門萩藩毛利家屋敷跡(No.9)の調査では、屋敷建物構築のために造成された埋立土層内で、地震由来と考えられる土層のズレが確認されている(東京都埋蔵文化財センター編 二〇〇五)。長さ一二メートル・幅三メートルの範囲にヒビ割れ状に発生しており、最大で約七センチメートルの高低差が生じている。長門萩藩毛利家屋敷跡は、武蔵野台地(洪積台地)の中でも形成年代が古く強固な淀橋台にあるが、台地上に形成された埋立土層が地震の揺れに耐える強度を持たないために発生したものである。たとえ地盤が安定した台地の上であっても、条件によっては地割れなどの地震被害が発生する恐れがある、ということを教えてくれる事例と言えるだろう。  (合田恵美子)