数ある災害の中でも火山噴火による災害は、地震災害や豪雨災害などに比べて比較的まれにしか発生しない。また火山災害が生じたとしても、ほとんどの場合は火口周辺や山麓など限られた場所である。このため、港区にいちばん近い火山、すなわち箱根火山や富士山であっても、火口から八〇~一〇〇キロメートル離れているため、港区内において身近に火山災害を感じることはほとんどない。大正三年(一九一四)の桜島大正噴火では、都内でもわずかに降灰が観測されたが災害というほどのものではなく、現在その痕跡を認めることはできない。しかし港区内の台地地下に伏在する関東ローム層は、箱根火山や富士山の噴火によりその大半が形成されてきたものであり、火山から遠く離れた港区でも将来の火山噴火による降灰は必ずあるといってよい。それを知るもっとも身近な出来事は、江戸時代中期宝永四年(一七〇七)に富士山で発生した宝永噴火であり、当時の江戸の町は降灰にみまわれた。現在港区内でその証拠を求めることは難しいが、ときおり遺跡発掘調査で噴火の痕跡を認めることができる。このコラムでは富士山宝永噴火の概要を述べた上で、港区内での宝永噴火の火山灰の検出状況をとりあげ、平成二九年(二〇一七)に湖雲寺跡遺跡(No.187、六本木四丁目)で検出された同噴火の火山灰について詳細な分析データを紹介する。