富士山の噴火様式は噴火ごとに特徴があり、時には溶岩流の流出が主体である。例えば貞観六~八年(八六四~八六六)の貞観噴火では多量の溶岩が流出し、青木ヶ原が形成された。また宝永噴火のように、あるときには爆発的な噴火であり、火口から高空まで噴煙柱が立ち上り、そこから風により火山灰やスコリアと呼ばれる火山礫(れき)が、遠隔地まで運ばれて広範囲に降灰する。また火口の位置も山頂である場合もあれば、中腹、あるいは山麓となる場合もある。宝永噴火の特徴は高い噴煙柱が富士山南東中腹部の宝永火口から立ち上がった爆発的な噴火であり、準プリニー式と呼ばれる噴火である。この噴火にはさらに大きな特徴があり、それは噴火規模として富士山史上最大級であったこと、そして噴火発生直後、玄武岩質マグマに由来する富士山としては異例となるデイサイト質マグマに由来する白色の軽石が噴出したことである。噴火規模が最大であったため、広範囲で降灰がみられ、火口から約一〇〇キロメートル離れた江戸の町にも数センチメートル以上の降灰があった(図1-3-コラムB-1)。
図1-3-コラムB-1 1707年富士宝永噴火時の降灰の厚さ変化
単位はセンチメートル。宮地・小山「富士火山1707年噴火(宝永噴火)についての最近の研究成果」『富士火山』(山梨県環境科学研究所、2007)から転載(一部改変)。