大名屋敷の空間構成

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 近年の研究の進展によって、大名屋敷内部の空間構成やそこに暮らした人々の生活、および外部との関係の実態などが明らかになってきている。屋敷絵図が多数紹介され、参照されやすくなったのも、近年の特徴の一つである。
 大名上屋敷の空間構成を表す一例として掲げたのが、寛保(かんぽう)三年(一七四三)頃の仙台藩伊達家(外様六二万石余)芝口上屋敷絵図である(図2-1-1-1、口絵5、屋敷の位置は図2-1-1-2、仙台藩の屋敷構成は表2-1-1-1)。これは江戸時代初期にまだ浅瀬の海岸だった所を拝領し、伊達家がそれを埋め立てて約二万六〇〇〇坪にまで広げていった屋敷地である。絵図に見られるようにほぼ正方形の敷地で、その一辺は約一六〇間(約二九〇メートル)もあった(この屋敷の跡地で行われた発掘調査については、一章二節一項・本章五節一項を参照)。

図2-1-1-1 仙台藩芝口上屋敷の空間構成(上部が北、口絵5)
「江戸芝口上屋敷絵図」(仙台市博物館所蔵)に加筆。寛保3年(1743)頃。

図2-1-1-2 大名屋敷の所在地
「安政改正御江戸大絵図」(部分)国立国会図書館デジタルコレクションから転載 一部加筆

A仙台藩伊達家芝口上屋敷 B紀州藩徳川家赤坂中屋敷 C長州藩毛利家麻布龍土下屋敷 D八戸藩南部家麻布市兵衛町上・下屋敷 E八戸藩南部家麻布新町下屋敷 F久留米藩有馬家芝上屋敷 G浜松藩水野家三田下(中)屋敷 H高松藩松平家目黒下屋敷

表2-1-1-1 仙台藩の江戸屋敷
「諸向地面取調書」第1冊(国立公文書館所蔵)をもとに作成。安政元年(1854)頃。


 屋敷の表門は西側中央に設けられていた。大名屋敷、特にその中心となる上屋敷の表門は、それぞれの家格によって建築様式が決められていた。そこを入った敷地のほぼ中心にあるのが表御殿である。ここには藩主が家臣らと対面したり、外部からの客や使者等に対応したりするための諸部屋や、能舞台、藩主の日常的な居所、および重臣をはじめとする家臣らが執務する役部屋などが配置されていた。その奥には奥向(おくむき)御殿がある。この時の藩主夫人(伊達宗村正室利根姫〈一七一七~一七四六〉)は紀州藩主徳川宗直の娘で、八代将軍徳川吉宗の養女として輿(こし)入れしたため、通常の奥向御殿より格式が高い御守殿(ごしゅでん)と呼ばれる広大な御殿となっており、輿入れの際に随行して来た二〇〇人を超える女中らの住居(長局(ながつぼね))もその中に建てられていた(表2-1-1-2)(柳谷 二〇〇一、竹内・深井・松尾編 二〇一五)。

表2-1-1-2 利根姫付き女中
享保20年(1735)11月入輿の時、利根姫に随従した女中。御中居以下の下女中は、各人付きでなく、その職階全体での人数。東京大学史料編纂所編『大日本古文書 家わけ第三 伊達家文書之六』2371号「雲松院(宗村夫人徳川氏)御守殿長局置道具目録」をもとに作成。


  表御殿と御守殿のそばには、大きな池を中心にしてその周囲の園路を歩いてめぐる、池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)と呼ばれる形式の庭園が設けられていた。園内には、古今の名所に見立てた景勝が配された。御守殿の先、敷地の北東隅には海手の屋敷ならではの汐入(しおいり)という施設がある。これは船着場であり、荷揚げのための船が出入りし、藩主家族の舟遊びの際などにも利用された。庭園の南側には長大な馬場があり、近くには馬屋が配置されている。乗馬は武家のたしなみとされ、ほとんどすべての大名上屋敷に馬場が設けられていた。御殿および庭園のエリアは板塀などで囲われていたが、絵図にはその中に稲荷社などの邸内社や、藩主の鷹狩りに使う鷹部屋なども描かれている。
 藩士らの住居は、表門から続く表長屋(外長屋)と敷地内部の内長屋とに分かれていた。表長屋は屋敷の外囲いを兼ねており、大名屋敷としての威容を示し、外部の目を遮断するため、二階建ての堅牢な造りとなっていた。