下屋敷の作事

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 絵図中に濃い色で塗られているのは既存の建物、薄い色はこの時に新改築された建物である。作事は火災の翌年まで一年二か月続いた。その建坪は四六三〇坪余で、総工費は、最小限の復旧工事が行われた上・中屋敷を合わせると、銀四五五五貫余(金換算で約七万六〇〇〇両)に達した。これは、この当時の江戸屋敷経費の約二年分に相当している。
 大名屋敷の作事は、藩直営の工事(御手作事)と、入札によって町大工などに行わせる請負作事とから成り、年代が下るにしたがって後者の比率が高くなっていった。この時の請負総額は、金二万五一八六両・銀一一三貫七一三匁余(金にならして約二万七〇〇〇両)であり、これは総工費の約三六パーセントに当たっている。請負入札は、大小二四六の単位に分けて実施され、江戸の町大工棟梁や材木商らが応札した。うち最も規模が大きかった東御殿全体の作事は、長門屋太郎左衛門が金約四五六九両で一式請負した。一式請負とは、材木や釘・瓦などの資材の調達まで含めて行うもので、その他に藩が資材を支給する手間請負とがあった。
 藩による資材の調達は、国元からの輸送に加え、大工棟梁が江戸や大坂その他各地で価格調査をした上で、良質・安価なものを選んで購入した。材木は、江戸時代前期には国元から輸送することが比較的多かったが、近年の林業史研究で明らかにされているように、乱伐によって森林資源の枯渇が進行したためか、各地の市場で調達することが多くなっていた(徳川林政史研究所編 二〇一二)。