愛宕下地域と旗本屋敷

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 ここからは港区域の旗本・御家人屋敷地を地域別に取り上げて、そのあり方をみる。本章一節「大名屋敷」では港区域の大名屋敷について江戸城に近い地域から順に述べており、したがって旗本・御家人屋敷地についても、まずは港区域で江戸城大手門に最も近い愛宕下地域から述べていく。
 愛宕下とは愛宕山の麓という意で、具体的には愛宕山の北東、新シ橋(あたらしばし)から幸橋の南一帯の武家地の通称で、おおむね図2-3-1-1「江戸時代の愛宕下地域」に含まれる、現在の新橋から西新橋と虎ノ門の一部に当たる。

図2-3-1-1 江戸時代の愛宕下地域
東京都教育委員会編『江戸復原図』(1989)をもとに作成


 本章二節二項「旗本・御家人屋敷の分布状況」で既述のとおり、港区域は江戸時代には大名屋敷の多い土地柄であったが、表2-2-2-1「旗本屋敷の分布」で見たように、家禄五〇〇石以上の旗本が芝・愛宕下(No.⑥)は八二名、次ぐ麻布(No.⑪)は五九名、赤坂(No.⑫)は五六名となっており、つまり愛宕下地域は港区域で特に旗本屋敷が集中した地域であったことが、その大きな特徴として指摘されるのである。